2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 二日目
2013-12-24


瓦の鍾馗が普及する以前は、鍾馗札といって印刷された鍾馗像を戸守りに貼る風習が盛んだったと聞いたことがあります。
鍾馗札の代わりに瓦鍾馗が普及したのだとすれば、
お札を貼る玄関先に瓦鍾馗が置かれるようになったのは自然なこととも言えますが、
それでは関西ではなぜ小屋根や棟に置かれるようになったのか説明できません。

妄説ですが、民家の構造からの推理をひとつ。
目に見えない外敵から家を守るのが鍾馗さんの役目なので、
置き場所はなるべく周囲四方に目が届くところがいいと思われます。
なので、一番いいのは大棟のてっぺんで、東海地方ではこの置き方が多い。
いっぽう京都などでは一階の小屋根の上に置かれることが多いのですが、
これは道の狭い町場ならではで、大棟の上に置いたのでは全然見えないのです。
家人からも見えないのではいくらなんでも面白くないので、京都では通りに面してよく目立つ小屋根の上に置かれるようになったんじゃないかと思っています。

それでは徳島県ではというと、この地方の伝統的な民家は写真のような姿です。
禺画像]
四方蓋造り」といわれていて、茅葺き屋根の下に傾斜の緩い瓦屋根を付けたような形態です。今はトタンがかぶせられているものがほとんどですが、
減ったとはいえ徳島県内では時々目にします。
この屋根に鍾馗さんをあげようとしても草葺きと瓦屋根の間にはほとんど空間がなく、
あげる場所がないのです。
やむなく玄関周りにあげるようになり、四方蓋造りが減って一般的な入母屋造りに変わっても鍾馗さんの置き場所としては玄関周りが一般的になったと。

まあ、スルーしておいてください(^^ゞ


この後、しばらく鍾馗さんの姿が途絶え、ひたすら足を前に進めるだけの探訪となり
30kmを超えて足を引きずり出した頃、一体の鍾馗さんが待っていてくれました。

禺画像]
阿波市吉野町柿原

シンプルで飾り気のない鍾馗さんですが初めて見るものです。

禺画像]
小さく典型的な四方蓋造りの家にありました。



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